大学生の日記

どこにでもいる大学生のどこにでもあるような日記

大学生と大学の関係性

大学生にとって最も重要な場所、それは大学である。

大学に通うからこそ大学生であり、大学生であるからこそ大学に通う。

一体この世界にはいくつの大学があるのだろう。

無数の大学のいずれに在学している人々も、大学生なのである。

どんなに大学に行かなかろうが、勉強をさぼろうが、大学生なのである。

そして、どんなに大学を楽しもうが、楽しまなかろうが、大学生なのである。

 

 

私は、大学が、苦手だ。

講義が、とか、教授が、とか、先輩が、とかではない。

ただ、大学という存在そのものが、とても苦手だ。

私がこの先、「大学生活、楽しんでます!」などという台詞をしらふで吐ける確率は

限りなく0に近いと思う。いや、0だ。

そもそも、大学内での私の感情の選択肢に「楽しい」は存在しない。

大学の正門を抜けた(私の中で正門を抜けることは、死ぬ覚悟を意味する。ゆえに、毎

朝通り抜ける瞬間、私は「さらば、命」と心の中で自分に別れを告げている)途端、私

の感情から、「楽しい」は消え去る。

代わりに芽生えるのは、「恐怖」である。

大学の最寄り駅に電車が到着すると同時に、大学への恐怖との戦いは始まる。

大学の門までの道が、毎日すごく長く感じて、足がすごく重く感じて、

「もう帰ろうかなぁ。」と何度も回れ右しそうになる。「今から帰れば、ヒルナンデス

にも間に合うしね!」などと、別にいつもみているわけでもないのに、ヒルナンデスを

見ることを理由に、家に帰る自分を正当化しようとしている。(ちなみに、「ヒルナン

デスをOPから見るため」というのが、大学を休む正当な理由なのかと問われれば、絶

対にちがう。)

だが、どれだけ家に帰る自分を正当化しようが、私は毎日震えながら、恐怖と戦いなが

ら、それでも大学へ行く。その理由はただ一つ、

 

一度大学を休むと、一生大学に行けないから

 

である。これは、私が、幼稚園、小学校、中学校、高校、と通ってきて分かったこと

だ。

誰にも分かってもらえないかもしれないが、一日学校を休むと、その次の日学校に行く

には、普段学校に行くために必要なエネルギーが2倍かかる。そこでまた、休んでしま

うと、さらにその次の日には、普段学校に行くために必要なエネルギーが4倍かかる。

そこでまた、休んでしまうと、さらにその次の日には、普段学校に行くために必要なエ

ネルギーが8倍かかる。そこでまた、、、、

 

そして、私は一生大学に行けなくなる。

この法則を、今までの人生を通して理解しているから、私は、明日の自分が最低限のエ

ネルギーで大学に行けるように、今日も、回れ右したい自分を必死におさえつけて大学

に通っている。

 

もはやこれは戦いだ。

自分で望んで大学に入学した以上、通いきらなければならない。

両親に、高い学費を払ってもらっている以上、なんとしてでも通いきらなければならな

い。

 

皆にとっての青春は、私にとっての戦場なのだ。