大学生の日記

どこにでもいる大学生のどこにでもあるような日記

大学生とお気に入りの関係性

回の記事で、大学に行くのに私がどれほどのエネルギーを必要としているかをお伝え

した。

しかし、どんなに「大学に行くのが怖い」、「もう疲れた」などと口に出そうとも、私

は大学に通う。

私は大学と戦闘中の身であり、敵の調査を怠ることは、「負け」すなわち「死」を意味

するからだ。

そこで私は「どうすれば大学に行かなくてすむか?」ではなく、「どうすれば大学に

行くエネルギーが少なくてすむか?」について考えることにした。

どんなにあがこうと結局大学に通うしかないのならば、せめて、そのために必要なエネ

ルギー量だけでも削減しようと思ったのである。

どうすれば大学に、いや、敵地に、極力少ないエネルギーでのりこむことができるだ

ろうか。

私は、幾日も頭を悩ませ続けた。

 

そしてその結果、とうとう私はひらめいたのである。

 

そうだ、武器を準備しよう

 で

強い敵と戦うには、「やってやる!」という気持ちも大切だが、それだけではどうにも

ならない。

 

事実、プリキュアダークファイブと戦いに行く際にカードコミューンを使って変身

し、あらゆる必殺技を繰り出せる姿になっていたし、

 

忍者はいつも胸に手裏剣をしのばせていたから、命の危険を冒してまでも敵の城に忍び

込むことができたし、

 

ラプンツェルはフライパンを持っていたから、絶対なにか危険なことはおこるであろう

と薄々誰もが感じる旅に、絶対こいつにでいて行ったらだめだろうと薄々誰もが感じる

成人男性と、でることができた。

 

 

それに、鹿は角を持っている(直球)。

 

 

 

以上の例から、大学に通うためのエネルギーを削減するのに最も効果的な方法は

「武器を携えること」だと、私は確信した。

そもそも、どうして今まで気づかなかったのだろう。

来る日も来る日もエネルギーを吸い取られている相手に、私は何の装備もせずに、

丸腰で向かい続けていたのである。

しかも相手は、「授業」、「サークル活動」、「新しい友達」、「変わっている教授」

など、様々な武器を使って応戦してくるのだ。

これでは勝利など話にならない。

丸腰刑事も聞いてあきれるではないか。

 

自分の愚かさに驚愕しながらも、早速私は武器の準備にとりかかった。

そして、私が集めた武器がこちら(下の写真)である。

 

 

 

 

 

 

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私の武器(大学戦用)

一、ドラえもんの水筒

  母親が、リサイクルショップで購入。ちなみに、私に授ける際の母親の台詞

  「これあげるから、大学行きなさい。」

 

二、文庫本

  常に金欠であるがゆえに古本しか読めない。

  ちなみに、読むのが親の敵のように遅い。

 

三、まりこさまのラバーストラップがついた家と自転車の鍵

  常に「私には帰る家がある」という安心感を得ることができる。

  ちなみに、まりこさまは、UFOキャッチャーの前でとれるまで帰らないとだだをこ

  ねた私に、父親が愛想を尽かしながらも従兄弟と協力して、約2000円かけて獲得し

  てくれた。

  おそらく定価540円のストラップである。

 

四、つばひろぼうしのブローチ

  手芸好きな、父方の祖母が作ってくれたお守りである。

  ちなみに、祖母にはゴキジェットスプレーで髪の毛をセットしようとしたという伝

  説がある。 

 

五、おかし巾着

  母親が、妹と私で食べるようにと買ってきたお菓子を、妹が気づくより早く

  巾着に移動させる。(巾着は妹からの誕生日プレゼント)

  ちなみに、今のお気に入りは「しるこサンド」である。

 

六、好きな芸能人の写真

  その時私がときめいている人物の写真をいれておく。

  心の潤いと、目の保養を欲した際に、眺める。

  ちなみに、眺める姿を誰かに見られたら「ヲワタ」だと思っている。

 

七、ドラえもんのフェイスタオル

  家の近くにある、唯一のファンシーショップで購入した。

  中学生のころから使用しているため、色があせすぎて、

  遠目で見るとなんのキャラクターか絶対にわからない。

  ちなみに、父親のお風呂上がりにもよく使用されているのを見かける。

 

 

これらの武器を、私は毎日、大学に装備していくことにした。(タオルはなるべく)

リュックの中で、わりと場所をとってしまうというデメリットはあるものの

やはり、自分のお気に入りのものが、大学の敷地内でも常にそばにいてくれることで得

られる安心感は、並大抵のものではない。

訳もなく突然おしよせる不安に押しつぶされそうになっても、とりあえず、お気に入り

たちを眺めて「まぁ、もうすぐしたら家に帰れるし、大丈だろう。」と考えることが、

少しずつだが、できるようになった。

これは、私にしては大きな進歩ではないかと思う。

敵地に乗り込む際の心構えが、以前よりも少し軽くなった。

お気に入りで、私の大学生活はほんの少しだけ充実するのではないか。

そう信じて、私は今日も武器をリュックに潜ませる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学生と大学の関係性

大学生にとって最も重要な場所、それは大学である。

大学に通うからこそ大学生であり、大学生であるからこそ大学に通う。

一体この世界にはいくつの大学があるのだろう。

無数の大学のいずれに在学している人々も、大学生なのである。

どんなに大学に行かなかろうが、勉強をさぼろうが、大学生なのである。

そして、どんなに大学を楽しもうが、楽しまなかろうが、大学生なのである。

 

 

私は、大学が、苦手だ。

講義が、とか、教授が、とか、先輩が、とかではない。

ただ、大学という存在そのものが、とても苦手だ。

私がこの先、「大学生活、楽しんでます!」などという台詞をしらふで吐ける確率は

限りなく0に近いと思う。いや、0だ。

そもそも、大学内での私の感情の選択肢に「楽しい」は存在しない。

大学の正門を抜けた(私の中で正門を抜けることは、死ぬ覚悟を意味する。ゆえに、毎

朝通り抜ける瞬間、私は「さらば、命」と心の中で自分に別れを告げている)途端、私

の感情から、「楽しい」は消え去る。

代わりに芽生えるのは、「恐怖」である。

大学の最寄り駅に電車が到着すると同時に、大学への恐怖との戦いは始まる。

大学の門までの道が、毎日すごく長く感じて、足がすごく重く感じて、

「もう帰ろうかなぁ。」と何度も回れ右しそうになる。「今から帰れば、ヒルナンデス

にも間に合うしね!」などと、別にいつもみているわけでもないのに、ヒルナンデスを

見ることを理由に、家に帰る自分を正当化しようとしている。(ちなみに、「ヒルナン

デスをOPから見るため」というのが、大学を休む正当な理由なのかと問われれば、絶

対にちがう。)

だが、どれだけ家に帰る自分を正当化しようが、私は毎日震えながら、恐怖と戦いなが

ら、それでも大学へ行く。その理由はただ一つ、

 

一度大学を休むと、一生大学に行けないから

 

である。これは、私が、幼稚園、小学校、中学校、高校、と通ってきて分かったこと

だ。

誰にも分かってもらえないかもしれないが、一日学校を休むと、その次の日学校に行く

には、普段学校に行くために必要なエネルギーが2倍かかる。そこでまた、休んでしま

うと、さらにその次の日には、普段学校に行くために必要なエネルギーが4倍かかる。

そこでまた、休んでしまうと、さらにその次の日には、普段学校に行くために必要なエ

ネルギーが8倍かかる。そこでまた、、、、

 

そして、私は一生大学に行けなくなる。

この法則を、今までの人生を通して理解しているから、私は、明日の自分が最低限のエ

ネルギーで大学に行けるように、今日も、回れ右したい自分を必死におさえつけて大学

に通っている。

 

もはやこれは戦いだ。

自分で望んで大学に入学した以上、通いきらなければならない。

両親に、高い学費を払ってもらっている以上、なんとしてでも通いきらなければならな

い。

 

皆にとっての青春は、私にとっての戦場なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学生、はじめてのブログをはじめる。

私は、どこにでもいる大学生だ。

どこにでもいる大学生がブログをはじめようとしている。

かくことも得意ではないし、続けることも得意ではない。

ただ、ブログをはじめようとしている。

ブログを始めることで、自分の日常になにかおもしろいことがおこればいいなぁ、などと思っている。

 

多分、私はブログの使い方を間違っている。